写真スタジオの歴史について

日本における写真スタジオの歴史は幕末までさかのぼります。日本が欧米を意識し始めた当時、さまざまな知識と技術が国内に入ってきました。代表的なものは蘭学と呼ばれる医療技術ですが、写真技術もまた幕末に日本に初めて来たものです。そんな写真技術が営業として確立し、日本初の写真スタジオが誕生した土地は長崎と横浜でした。

ほぼ同時期に写真スタジオを開店した長崎と横浜ですが、広く知られているのは長崎の「上野撮影局」です。何故かというと、上野撮影局の創業者はスイス人のカメラマンから基礎的な技術を学んだだけでなく、最新式の写真技術を取り入れて幕末の偉人たちの症状写真を多く撮影して後世に残したからです。当時の撮影方法は2つありました。1つは露出時間に約2分かかるダゲレオタイプ、もう1つは20秒から30秒で完了する湿式写真です。

この露出時間のあいだ、被写体は動くどころか瞬きすら許されませんでした。動いてしまうと像が乱れて綺麗に撮影できないからです。上野撮影局の創業者が採用したのは露出時間が短い湿式写真でした。これにより、幕末の偉人たちと接触する機会が出来たわけです。

そんな写真スタジオが一般にも広まったのは明治時代の初期となります。撮影に必要な写真湿板から写真乾板が主流になるという変化はあったものの、当時の写真撮影には「木製暗箱」と呼ばれる大きなカメラとそれを固定する三脚、さらに写真乾板をすぐさま現像できる場所が必須でした。そのため、いつしか「設備や機材が揃っており、かつ現像を行なえる場所」が写真スタジオの一般的なイメージとなっていったのです。

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